「フリースクールの存在を知り自分の進むべき道が決まった」たかれんがフリースクールRizを立ち上げるまで


たかれん
10代向けサイトや中高生向けフリースクールRiz設立・運営
東藤なつき
フリー編集者、校閲者。たまに取材執筆もします
昨今、いわゆる「学校」に代わる選択肢が増えてきています。
筆者が中学、高校生だったころは「学校に行きたくない、行けない」と思っても学校以外の選択肢がほとんどありませんでした。
なので、「今の子たちがうらやましいな」と思うと同時に、子どもたちの教育や居場所が開かれていっていることを嬉しく思います。
* * *
目黒区にある「Riz(リズ)」は、元不登校経験者たちが運営する中高生向けのフリースクールです。
Rizの代表を務める中村玲菜さん(以下、愛称の「たかれん」さん)は、現在22歳。
たかれんさんが学生時代から今までにどんな人生を送って、昨年Rizを立ち上げることになったのでしょうか。たかれんさんのライフストーリーをうかがいました。
(取材・文/東藤なつき)

このひとが担任なら学校に行ってみようか
たかれん:中学1年生の春、わたしは不登校になった。
真面目な生徒で、先生の手伝いも率先してやっていたから、そういうところが気に食わない人たちに悪口を言われ始めて。最初は受け流せていたけど、このまま悪口を言われる毎日が続くことを想像したら、怖くなった。
それで中1の夏には学校に行けなくなったんだ。
その年の冬に一度は教室に戻ってみたものの、2年生に進級するとまた学校に行かなくなって、中2の夏に別の学校に転校することにした。
初めて転校先の学校に行った日のこと。
わたしは学校に全然期待していなかった。「どうせ学校だし。学校の先生のことも好きじゃないし」って敵対心むき出しだった。
父と一緒に、わたしの担任になるK先生と顔合わせをした。
K先生は、まずわたしに挨拶をしてくれた。最初に親(大人)へ声をかける先生が多かったから、少し意外だったな。
教室に向かいながら、K先生は「これまでの学校のこと、あんまりクラスの人には話さないほうがいい?」とか、「学習の進度で違うところがあったら教えてね」とか、色々聞いてくれた。
そして、わたしが「こうしてほしい」と話したことは、ちゃんと反映してくれた。
「この先生が担任なら、学校に行ってみようかな」。
そんな風に思えた転校初日だった。

担任の先生だけじゃなく、クラスメイトもいい人が多くて、転校してからは前向きに学校に通える日が増えていった。
勉強は苦手だったけど、それで悪目立ちしちゃうこともなかったし。
ただ、学校で同年代の人たちと過ごすこと自体が苦手で、転校先のクラスでも「実は悪口言われているんじゃないか?」と疑心暗鬼になったりもしていたよ。
転校生だから興味を持ってもらえて色んな人から話しかけられるけど、それも一つひとつ対応するのに疲れちゃったり。
きっと、一日に使う体力がほかのクラスメイトよりも多かったんだろうな。学校に対して前向きな気持ちを持ちはじめていたけど、たまにお休みする日もあった。
一人ひとりと向き合えばクラスにいることも怖くない
転校してから半年以上が過ぎた中2の3学期、合唱祭があった。
わたしは行事やグループ活動のような成績に直接関係ないところでも手を抜けないタイプで。
合唱祭にも真面目に取り組んでいたら、ちょっと馬鹿にされるようなことがあった。それから、クラスの何人かがわたしの悪口を言い始めて。
前の学校と同じような状況だったから、「またか……。わたしはどこの学校でも悪口を言われる運命なんだ」なんて思ってかなり落ち込んだ。
でも、K先生が転校初日に「あなたに合いそうな、いいクラスメイトがいるよ」と紹介してくれたYちゃんとSちゃんが、本当にすごくいい子で。その子たちと同じ部活に入って一緒に活動して。その時間はほんとうに楽しかったから、仲良くなった2人とは離れたくないなって思った。
でも、悪口言われているのはつらい。
……でもやっぱり、2人と離れたくない。
じゃあ、悪口をやめさせるしかないと思った。
誰がわたしの悪口を言っているかはわかっていた。そのグループは、教室の少し離れた場所から、私に聞こえるか聞こえないかくらいの音量で悪口を言っていたから。

ある日、わたしはそのグループの一人を呼び出して、廊下で「悪口を言うのはやめてください」と直接話したんだ。
そのあと先生が来て、先生とグループの子たちとわたしで話し合う形になって、一応和解できた。
それまでは、多勢に無勢だから自分が抵抗しても無駄だと思っていたけど、一人ひとりと向き合っていったら意外とわかってもらえるんだ、とわかって、ただ耐える以外の選択肢が持てた。
悪口を言われるのはもちろん悲しいけど、「やめてって言えば、意外とすんなりやめるんじゃん」って。
それならクラスのことを恐れなくてもいいし、悪口言われているからっておとなしく過ごす必要もない。そう思えてからは、教室にいるのが格段に楽になった。
中3のGW明けくらいから、ようやく毎日楽しく通えるようになったかな。
数学の教科書はプラスとマイナスの計算方法からだった
高校は、横浜にあるクリエイティブスクールに入学した。
クリエイティブスクールは神奈川県が「県立高校教育改革」の一環としてつくった高校。
中学校であまり実力を発揮できず、成績などがふるわなかった生徒が、中学校の内容をやり直してから高校の内容を学び、進学なり就職なりを目指すことを目的にしている学校なんだ。
そういう高校の性質上、不登校経験者や家庭に事情を抱えている子とか、色んな子がいてすごく為になったな。
人間関係のいざこざもあまりなく、楽しく平和に過ごしていた。テニス部と演劇部に入って、本気で活動したり。
高校に入って一番変化したのは、勉強がめっちゃ楽しくなったこと。
初めて数学のテストで70点以上とれたとき、「わたしでもできるんだ」ってうれしかった。
そこから真面目に勉強をはじめて、勉強の意義がわかった。
授業の内容自体も理解できるようになったし、「勉強」と自分たちの「将来」とか「生活」が結びついて、自分のために勉強するようにもなれた。
中学は行っていない期間があったから、特に数学や英語が呪文のように思えて。
「関数ってなんですか?」っていう状態なのに「この問題を証明してください」とか言われても、「……わたしがですか?」みたいな(笑)。
高校では、数学の教科書が「マイナスとプラスはこう計算します」から始まっていたから、「これなら、さすがにわたしもできるぞ」と。
「次は簡単な文字式を解いてみましょう」「あれ、なんか解けるな」。
「じつはこれが一次関数なんですよ」「あ、そうなんだ!」って、持っている知識と知らなかったことが繋がる瞬間がたくさんあった。

高校では、授業や宿題に真面目に取り組んだら点数が伸びたから、それから勉強がすごく好きになった。
先生に質問しやすい雰囲気もあったかな。先生のことをニックネームで呼ぶ人とかもいて。
ノートもたくさん書けば、その分先生がコメントをくれたし。
仮にテストで点数がとれなかったとしても、「これだけ勉強してたよね」とか「いつも授業で発言してくれるよね」とか、点数以外のところも評価してくれる先生たちだった。
だからがんばろうと思えたし、がんばった結果がちゃんと点数にも結びついて、「わたし、いける!」って学習面で初めて思えた。
A先生が特に好きだったな。
生徒の話をちゃんと聞こうとする先生で、生徒に意見を積極的に求めるし、その意見がどんな内容でもちゃんと拾ってくれた。先生の想定しているような答えじゃなくても、生徒の発言一つひとつに返答して、でもその授業で進めるべきところまではしっかり進めて。
高3の時、数学の授業時間が少し余って、大学の内容に触れてもらったときに、数学の面白さに目覚めた。難しい数式とかが出てこない図形の授業だったんだけど、数学=計算だけじゃなく、思考する学問なんだなとそこで知ることができた。
何らかの形で「教育」に報いたい
もっと数学をやりたいし、教員免許もとりたい。じゃあ数学の教員免許がとれる学科に入ろう。そう思って、大学は理工学部理工学科に進学した。
教員になりたいと思ったのは、中学の転校先でA先生に出会えたから。初めて「先生」という存在を信頼できて、学校が楽しくなっていったのはA先生がきっかけだと思うから、わたしもそんな教師になりたいと思ったんだ。
中1の時は学校が大嫌いで、「早く義務教育が終わればいいのに」って思っていたのに、中2の時に「学校を離れたくないな」と思ったのが、自分でもすごく意外で。「わたしが学校にそんな愛着もつんだ」って。
なんでだろうと考えたら、学校自体じゃなくて、「この先生の授業を受けたい」とか「このクラスメイトと明日もまた遊びたい」とか、人によって愛着が生まれていたんだなと。

学校が嫌いな時はざっくり見ちゃってたんだよね。
悪口を言われていた中1の時も、クラス全員から言われていたわけじゃなかったけど、何人か悪口言っている人がいると、「あの子も悪口言っている子と仲がいいし、きっと言ってるな」とか、悪い想像がふくらんでしまってクラスメイト全員が敵に見えたり。一人の先生がよくなかったから、「他の先生も同じだろう」って決めつけてしまったり。
学校に一人でもいいイメージが持てる人がいたら、学校に対するわたしの気持ちも中学生のうちからもっとよくなっていたかもしれない。
「じゃあ私が先生になって、次の子にはなるべく早い段階で、学校でいい体験をしてほしい」。そう思った。
わたしは、小さなころから何もせずに享受だけするのがきらいなんだ。学校では結果的にいい思いをさせてもらったから、教員になって何らかの形で「教育」に報いたいという考えもあった気がするな。
大学に入って、数学の勉強と教員になるための勉強をして、すごく楽しかった。
わたしにはそんなに待てる余裕はない
「数学はなんて奥深いんだ」「いい教師になりたい」って、どちらにも情熱を持って勉強をしていたんだけど、大学2年生になり教員採用試験について勉強している時に、純粋に「教員って忙しいな」と思った。
授業だけじゃなく教材研究もするし、保護者やPTAへの対応、行事の準備、部活の顧問も担当する。こまごました事務仕事もたくさんある。
それで一日の中でどれだけ生徒と接する時間があるんだろうって。しかも担任になったら、30~40人の生徒を一人か二人でみることになる。生徒一人にかけられる時間って、1日に数分もないかもしれない。
勉強をするのも勉強を教えるのも好きだったし、学校のなかで居場所をつくれたら、それが一番子どもが傷つかないし早く届くけど、わたしがしっかりみられる生徒の数は想像していた以上に少ないなって思った。
学校の仕組みから変えようかとも思ったけど、それには大学院まで進んで、先生になって何年か経験積んで、クラス担任になって、教頭や校長といった役職に就いて……。一体何十年かかるんだろうと。

その年の夏、子どもに関する悲しいニュースがいくつか報道された。
「だめだ、そんなに何年、何十年もかけていられない。わたしにはそんなに待てる余裕はない」とかなり焦った。
フリースクールの存在はまだ知らなかった。
わたしは中学~高校の途中まで勉強ができなかったのが一番コンプレックスだったから、学習面も保証したい。 かつ、たくさんの子どもと接することができて、居場所の提供をできる場といえば、その時は学校以外の選択肢が思いつかなかった。
「どうしよう」って悩みつつも、教員になるための授業は毎日のように受けなくてはいけない。
将来やりたいと思うことと教員としてできることとの間にズレを感じながら、授業を受けたり課題をこなしたりしてたけど、だんだん現状への抵抗感が自分の中で大きくなっていって。
授業に集中できなくなって、朝も起きれなくなった。
なんとかやり過ごしていたけど、ついには大学の最寄り駅に降りることもできなくなって、1週間くらい大学を休んでみた。
でも結局不調は治らなくて、大学2年の後期、なし崩し的に半年間休学することにした。
休学中にフリースクールの存在を知った
休学して2か月ほど経つと、体調は少し落ち着いてきた。
でも大学に戻るほどのエネルギーはまだないし、将来どうするかも悩んでいるし。
そんな迷いを、高校時代からの知り合いのゾノさんに相談したら、教育系メディアのライターのアルバイトを紹介してくれた。
わたしが高校生だった当時、ゾノさんは10代のための相談サイト「ココトモ」の代表をしていた。
その頃から、わたしは「自分と同じように不登校になった子の支援がしたい」という想いがあり、「高校生だけど、ココトモを手伝いたいです」とゾノさんにメールをした。
実際にココトモで同世代の相談者さんの相談に乗るボランティアをはじめ、ゾノさんとは一緒に活動をする仲間になっていった。
そんなゾノさんからの紹介ではじめたアルバイト先で、そこの企業の社員の吉中さんと出会った。
わたしが現在代表を務めるフリースクール「Riz」は、この2人との出会いから生まれたと言ってもいいだろう。
アルバイト先の企業の社員だった吉中さんは、学校外の教育支援に興味を持っている人で、わたしはよしなかさんから「フリースクール」の存在を教えてもらった。
そして、吉中さんとゾノさんとわたしの3人でフリースクールを立ち上げることになったんだ。
よしなかさん「フリースクールっていうのがあるよ」
わたし「じゃあやりましょう!」
本当にこのくらいのテンポで決まって、そこからはぽんぽんと事が進んでいった。
今から3年前、19歳のときだった。

その道筋以外は納得できないからやるしかない
「フリースクールをつくって運営するなら、教員免許はいらないな。じゃあ大学行かないほうがいいんじゃない?」
そう思って3年生に上がるタイミングで大学を中退した。
「すごい決断だね」と言われることもあるけど、わたしの中ではフリースクールを始めることがずっと求めていた答えだったから、大学を辞めることに迷いはなかったな。
あとから振り返ると「あの時のわたしすごいなぁ」って思うけど(笑)。当時は、その道筋以外は納得できないからやるしかない、それだけだった。
「こうすればいい」と思えることが見つかっていない間は、もちろんもやもやしていたよ。
そういうときは「もやもや」を丸ごと人に話して、「なんかないっすか?」ってたくさんの人に相談してみることにしている。
少し年上の、5歳上くらいの人に相談することが多いかな。人からのアドバイスはめっちゃ参考にするし、アドバイス通りに行動してみるようにもしてるよ。
子どもに寄り添い、100%子どもの味方でいる
フリースクールRizの立ち上げを決めたあと、まずは必要な人にRizのことを知ってもらうためのサイトをつくることになった。
自分たちがサイトをつくるんだったら、大前提として100%子どもの味方でいることを伝えたいし、サービスもそういうものをつくりたいと思った。
ゾノさんと吉中さんは、学校に対する思いはいまも当時も色々あるけど、学校に行ってなかった期間はなかった。
だから、実際に不登校を経験していて、かつ子どもたちと年代が一番近い私がメッセージを発信したほうがいいということで自然と私が代表になり、サイトのメッセージなども書くことになった。
Rizのサイトに載せるメッセージを書くときに参考にしたのは、当時の自分が感じていたこと。
ただ、そうは言っても不登校だったのは5、6年前のことだったので、当時と今とでネットとの距離感も違うし、子どもを取り巻いている環境も違うだろうし。今の子とズレがないかは、始めるまで不安もあったな。
それからはひたすら、地道に地道にコンテンツをつくって。
コンテンツを揃えて、広告を出して、SNSを使って人を集めて、去年(2018年)の6月にフリースクールRizを正式オープンした。

年齢や立場は関係なく、人として尊敬の気持ちを持つ
話は少し戻って、高校生のとき。
ココトモのボランティアに参加した1年後には、ココトモのメンバーとネットの交流だけじゃなく、リアルで会ってご飯食べに行ったり遊びに行ったりすることも増えた。
小・中学生のときは「子どもなんだから親の言うこと聞いていればいい」と、大人の指示通りにすることを求められる場面が多かった。
わたしは些細なことにもすぐ気づく子どもだった。だけど、気づいたことを実行に移すと「かわいげがない」と思われそうで、萎縮してしまうことがよくあった。
でも、ココトモの人たちと会ってからは、やればやるだけ褒められて「むしろ助かる」とも言ってもらえて。当時わたしは18歳くらいで、メンバーの人は少し年上の人たちだった。「ちゃんと大人のひとたちの戦力になるんだ」とそのとき初めて思えた。
それからは年齢を気にして萎縮しちゃうことも、逆に「若いんだから許して」と思うこともなく、一人の人間同士として接することができるようになった。

いま、初めてRizに来てもらう際に、お子さんとわたしの1対1で30分くらい話すんだけど、わりとすぐに警戒心を解いてもらえることが多い。たぶん、「子どもと大人」の関係で話をしないからだと思う。
便宜上「10代の子」と表現することが多いけど、悩みの度合いとかは大人と差がないと思っているので、10代の子たちと接するときも、まず人としてきちんと尊敬の気持ちを持って接することを意識していて。

それは自分が若い頃に尊重してもらえてうれしかったから。年齢関係なく、その人がどんな性格でどんなバックグランドを持っていて、どんなそことが好きで、といったことをちゃんとみてもらえた経験は大きかった。
「10代の子が、あの頃の自分と同じようなつらい思いをしないように」。
そのために自分になにができるか考え、行動してきたことが、人との出会いにつながって、私自身も成長できた。
共感できる活動をしている人にメールを一本送ってみるだけでもいい。自分のやりたいことに近づくために一番必要なのは、同じ想いを持った人とつながることなのかもしれない。
話し手:中村玲菜(たかれん)
神奈川県出身、22歳。フリースクール代表/ライター。いじめ・不登校・引きこもりを経験し、2018年6月にフリースクールRizを立ち上げ、現在は10代・子どもへの支援をおこなう。好きなことは漫画を読むこと、映画、愛犬とのんびりすることなど。
Twitter @takaren_kktm
note たかれん
フリースクールRiz
東京都にある中高生向けのフリースクール。「どこにも自分の居場所がない」と感じている子に向けて、学習サポートや交流などをおこなう。オンライン上でもサポートをしている他、LINE@にて相談も受付中。
HP https://riz-school.com/
取材・文:東藤なつき
編集、取材・執筆、校正・校閲を行うフリーランサー。小学校教諭一種免許をもつ不登校経験者。誰かのライフストーリーを記事にすることで、ほかの誰かに希望や一歩踏み出すきっかけをつくれたらうれしい。好物は豆大福とお寿司。
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note とうどう なつき
撮影: Kenji Nomura
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